2回目の手術が無事終わり、痛みもだいぶ少なくなってきたところで、2000/07/13~術後1回目、合計4回目の点滴が始まる。
のっけから吐き気に襲われ、苦しむ。
4日目に白血球が下がる前に一時外泊許可が出る。たまたまその日は娘と夫は野球を見に行く日だった。
一人でコンビニに行き、食べたいものを買ってシードル(発泡性ワイン)とポテトサラダとコロッケとカップの坦々麺を食べまくり、結局全部吐いてしまう。この姿を見られなくてよかった。外泊していた3日間、毎晩吐いていた。
4回目の白血球の降下で、1530→ 1100→ 1000→ 650になってしまった。
でも個室へ入って下さいとは言われなかった。手術前の治療の時より、ダメージが大きくなっている。先生いわく、薬が積もっていくため、副作用も大きくなる、とのこと。
2000/07/27、同じ部屋の先輩が2人そろって、めでたく退院した。
KNさんは、年末から入院、IKさんはお正月から入院で同じように2回の手術と6回の抗がん剤治療をがんばってきた。
二人の先輩のおかげで、どれだけ心強かったことか。二人の退院はうれしさとさびしさが入り交じっていた。
KNさんのいた窓際にベッドを移動してもらった。
私もいよいよ最終ステージに入った気分だった。
2000/08/03、5回目の点滴始まる。前回骨髄抑制がひどかったので、薬の量を20%OFFにしてもらう。
しかし、前にも増して具合が悪くひたすら寝ている。このまま寝たきりになったらどうしよう、と不安になる。ただ窓の外の雲を眼で追って、時間が過ぎていくのを待っている。
こんなんだったら生きていても死んでいてもおんなじように思う。
でも千羽鶴を見上げて、3人で撮った写真を眺めて、どんなに苦しくても死ぬわけにいかないと思う。
2000/08/16、KNさんが検診のときに寄ってくれる。
KNさんは、私に仕事を1回やめて、もう一度立て直したら? とアドバイスしにきてくれた。私自身もそういう気持ちになっている、とKNさんに伝えた。
その次の日の注射から、私は38.8度の熱が出て止まらなくなってしまった。
熱が出て3日めに父が脳梗塞で倒れ、入院した。母は一日おきに病院へ来てくれていたのだが、もうこれなくなった。るす電にこちらのことは心配しなくていいから、と伝えておいた。
5日めに熱が37.0に下がったときに、外泊する。しかし夜になるとまた37.8まで上がってしまう。
スケジュールでいくと2000/08/24から6回目の治療を行うことになっていた。そこで看護婦さんに、「こんな熱が続いてる状態で、明日からの治療は不安です」と訴えた。
するとそれを主治医に伝えてくれたらしく、内診し、抗生剤を入れようかという。思い切って主治医に、「治療を延ばしてもらえませんか」と言うと、「強行しようか、延ばそうか迷っていた」と言う。「治療を延ばすと退院も延びてしまうので迷っていたが、Iさん(しづく)からそう言ってくれたなら、延期しましょう。」と言ってくれた。
ここで私が言いたかったのは、先生が決めた厳格なスケジュールを絶対守らなくてはと思い込まなくていいんだ、ということです。
自分の痛み、体の変化を一番良く知ってるのは自分なのですから、自分の判断もぶつけてみるべきだと思うのです。
